幽霊船に乗って

お化けは死なない

メッセージの選別

自尊心が極度に低かったとき、自分以外の全ての人の言うことが正しい気がして、振り回されるか、凹まされるかしていた。人だけではない。事象にも凹まされていた。

やさしさに包まれたなら」という有名な曲には、”目にうつる全てのものがメッセージ” という歌詞がでてくるが、私が陥ったのは、全部が全部のメッセージを真に受けてどれを聞いて良いか分からない混沌だった。全部正しい気がして全部両立したい。

今思えば、「声を出せ!」「静かにしろ!」と矛盾するアドバイスを両方聞こうとしてどうしようもなくなり、挙句の果ては全てに責められているような気がした。

 

下に矛盾する故事、諺などを載せてみたので味わってほしい。

 

「善は急げ」「急いてはことを仕損じる」
「大器晩成」「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」
「立つ鳥跡を濁さず 」「後は野となれ山となれ 」
「鶏口牛後」「長い物には巻かれよ」
「虎穴にいらずんば虎児を得ず」「君主危うきに近寄らず」

 

馬鹿げているんだなあと笑ってもらえれば幸いだ。

 

矛盾する正論を聞き入れようとするとブレーキとアクセルを同時に踏んだ状態になるが、私の場合感覚的にはサイドブレーキをかけたまま走行しているような感じで、ついに何かが焼き切れた。多分、必要なのは闇雲な両立ではなくどれが今の自分宛のメッセージなのかの選別であった。

 

普通は、ある程度のことならいちいち考えるまでもなく無意識的に選別していると思われる。選ばなかった選択肢に関しては意識にのぼることもない。そういうシステムというかフィルターがあってバックグラウンドで機能している。私も昔はそうだった気がするが、ある時からそれが機能しなくなってしまった。

(機能しなくなった原因はまた別の機会に書くと思う)

 

バックグラウンドで機能しなくなってしまったので、代わりに意識で補う必要が出てきたように思う。少し前まではそれが機能していた頃に戻りたくて思い詰めるばかりだったのが、今は少しだけ意識でカバーすればいいのだと思えてきた。自動操縦が効かなくなったので、手動に切り替えるイメージに近い。

 

だがこの意識での選別の仕方を書き出そうとすると難しい。

多分人によって違うからだ。私には、どんなに正論であってもできそうにないことや、抵抗を感じることには「今の私には当てはまらない」「今受け入れるべき助言ではない」などのフレーズで意識的にお断りする訓練が良かったように思う。

「今」や「私」というキーワードは、狭まり過ぎた視野の中に多少まともな時間軸や他人との境界線を持ってきてくれるので良かった。

 

こういうことを頭の中でやっていく。

ぎこちないながらも、弱った無意識に任せっきりの時よりも打ちひしがれることは減ってきた。メッセージにはそもそも自分宛とそうじゃないものがあり「選択してもいい」と思えるようになったのも最近のことである。